Guitar野郎の日記

U2が好きなギター弾きの日記

祖父

10/22
緊急出動の出張より帰宅。
夕食を取りながら、両親と話をする。

10/19の結納の後、駅まで両親を見送った後の話を聞いた。
親父の実家に着いた日、父方の祖父はあまり体調が良くなく
トオルの結婚式に行きたいけども、年だし行けない(;_;)」
と泣きそうだったそうだ。
去年、祖母が脳梗塞で倒れてから、祖父はずいぶんと弱くなってしまった。
僕が学生の頃は、口うるさいくらい元気なジジイだったんだけど・・・。

かと思っていたら翌日には
「やっぱりトオルの結婚式には行くぞ!」
と高らかに宣言していたそうで(^_^;

僕にとって鹿児島というと、やっぱり祖父母のことが頭に浮かぶ。
子供の頃は、鹿児島弁を理解できていないから、ずいぶん怖いイメージがあったけど
学生の頃に自分も暮らした経験から、そのイメージを払拭出来ていた。


今でも覚えていることなんだけども
僕が大学を卒業して地元に戻る時のこと。
当時、祖父は体調を崩していて入院していた。
明日、地元に帰るというときに病院に親父とお見舞いに行くと
トオルはね、本当によく頑張った」
と親父の前で、僕を褒めてくれた。

僕が高校生の頃、田舎に電話をする度に親父が「トオルはやっせん」と祖父に言っていた。
僕自身も自分の中途半端さに嫌気がさしていた頃で
かといって、どうやってここを打開していくかもわからないし
その上にあーだこーだと言われ、悶々として過ごす日々だった。

そんな中で、大学を九州で過ごすことになり
祖父は祖父で「チョットは叩き直さないといけない」と思っていたそうだ。
ところが、祖父が僕を叩き直すことはなかった。
祖父に言わせれば、それくらい僕は頑張っていたということなんだそうだ。

その話を聞いた時、僕は病室で泣いた。

自分なりに色々と思うことがある4年間で、何かしら掴んで社会に出ないと
人間として駄目になると思って過ごしていたから
そこで、もがいている自分のことを温かく見てくれている人がいたということ
年を重ねている人に自分を認めてもらえたということが、素直に嬉しかった。


大学を卒業後、何度か祖父に会いに行くことがあったが
段々と年齢を重ねていくにつれ、弱気になっていく祖父。
トオルが遊びに来ても、おいは何もしてやれん・・・」
と泣かれたこともあった。
僕自身は祖父に何かしてもらいたいという気持ちはなく
僕が顔を出すことで、祖父母が喜ぶならばという気持ちだけなのだが・・・。

彼女と付き合うようになり、何度か鹿児島に行くことがあったけども
やっぱり、顔を出せなかった。
「鹿児島に来ていて、祖父ちゃんに会いに行けないのも辛いもんだよ」
最初の頃、そんなことをこぼしたこともあった。


そんなこともあり、祖父が結婚式に出席したいと言ってくれたと聞いて
凄く嬉しかった。
段々とこみ上げてきて、枕に顔を埋めてしまったほどだった。

今は晴れ姿を見せられることが、何よりも嬉しい。