Guitar野郎の日記

U2が好きなギター弾きの日記

Kite

その連絡は突然のことだった・・・。
 
毎月第二土曜日は出勤日であり、会社で「さぁ、機械の整備で始めようか」と思っていたところに携帯が鳴った。
携帯を見ると、ざ:ぼすさんで「おっ、何か良いギターでも見つけたのかな♪」と思って電話に出た。
 
「シゲちゃんがさ・・・」
それはあまりにも早すぎる、とても悲しい知らせだった。
 
嫁さんに連絡をして、バンドのメンバーに連絡をして・・・。
頭の中を整理しようと思うのだが、それも出来ず・・・。
その日にやろうと思っていた仕事は、半分も手をつけられなかった。
 


シゲちゃんとは、誰かのLIVEの時なんかに顔を合わせると「どうも」という感じで挨拶をする程度。
しかし、嫁さん同士がよく連絡を取り合っていたり
お互いに「姉さん女房持ち」だったり、お互いにギターが好きだったりと
いくつかの共通項があり、僕の方は勝手に親しみを感じて接していた。
 
最後に会ったのが去年の夏のことで、その時はギターとエフェクターの話をしたことをよく覚えている。


シゲちゃんには「ありがとう」と「ごめんね」という言葉を伝えなければと思っていた。
 
「ありがとう」については、去年の3月に都内で行った僕達夫婦の結婚披露パーティでセッションをしたこと。
2月にシゲちゃん達のLIVEを見る機会があって、LIVE後に
「来月のパーティで1曲セッションをしない?」と誘ってみたところ、快く引き受けてくれた。
しかし誘っておきながらも、正直、複雑な気持ちも僕の中にはあった。
 
色々と引っ張りだされているシゲちゃんを見ていると、少し体を休ませて体力を温存させてあげたい
という気持ちがあったからだ。
 
結果として、結婚パーティでシゲちゃんとセッション出来たことは
僕達夫婦にとっては、忘れらない思い出を作ることが出来た。
心からありがとうと伝えたい。
 


謝らなければいけないこと
闘病中のシゲちゃんに僕が掛ける言葉はいつも「頑張れ!負けるなよ!」ばかりだった。
真剣に、自分の命を賭けて闘っているシゲちゃんに、もっと違う言葉でエールを送ることが出来なかっただろうか・・・
それはずっと自分の中で引っ掛かっているところだ。
 


シゲちゃんの故郷である長岡に向かう車中で、その二つは伝えようと思った。
 
新潟へは、富山へ出張に行った時に、越後湯沢で新幹線から在来線に乗り換えたくらいで
実際に行くのは初めてだった。
 
シゲちゃんの故郷は、緑があふれていて、穏やかで、スケールが大きいと思った。
それはまるで、シゲちゃん自身のスケールそのものというようにさえ感じた。
 


お通夜の会場に入ると、シゲちゃんの写真が飾られていた。
「シゲちゃん、まだまだこれからじゃないか・・・」
心の中でつぶやくも、現実が変わることはない。
 
お通夜の後に、痛みから解放されたシゲちゃんの顔を拝むことが出来た。
とても穏やかな良い表情をしていた。
自分に与えられた命を生き抜いた、そんな顔をしていた。
 


生前、うちに遊びに来たいという話を聞いていた。
嫁さん同士はリビングで過ごして、ギター小僧同士は楽器部屋でギター談議でも
なんてことを話していた。
その日が来ることを、僕は首を長くして待っていた。
しかしそれは、叶わぬ夢となってしまった。
 


 
長岡から帰る際、カーステレオからU2のKiteが流れてきた。
The Edgeのギターソロが印象的な、LIVE音源の方だった。
「今日、この曲はシゲちゃんのためにあるんだよね」
車の中には、たしかに純粋な風が流れていた
 


7/9 大腸がんと闘ってきた一人の男が、この世を去りました。
享年31歳。いつも人懐っこい笑顔が印象的でした。
まだまだこれからだというのに・・・。
しかし、お通夜で彼が残したものの大きさを感じることが出来ました。
短い期間の付き合いではあったけれども、彼と知り合うことが出来て本当に良かったと思います。
 
シゲちゃん、本当にありがとうね。
安らかに眠りについて下さいね。