6/7から6/12まで、子供の出産に立ち会うために鹿児島にある嫁さんの実家へと行ってきました。
「結婚をしたら自然と授るもの」と漠然と思っていたものの
実際には、結婚をしてから最初に授かった命とは顔を合わせることが出来なかったり
身近なところでは、祖父母が亡くなったり
自分達の周りでは、音楽を通じて知り合った友人が若くして亡くなったり
そして3ヶ月前に起きた未曾有の災害で多くの方々が命を落とすことになったり…
実際には、結婚をしてから最初に授かった命とは顔を合わせることが出来なかったり
身近なところでは、祖父母が亡くなったり
自分達の周りでは、音楽を通じて知り合った友人が若くして亡くなったり
そして3ヶ月前に起きた未曾有の災害で多くの方々が命を落とすことになったり…
命について考えさせられることがとても多かった。
一度流産をした後に、病院の先生から「不妊治療を受けるか?」という話もあったのだが
一度、自然と子供を授かることが出来たのだから、もう一年だけ待ってみたい。それで駄目だったら不妊治療をする。
それが嫁さんの考え方だった。
一度、自然と子供を授かることが出来たのだから、もう一年だけ待ってみたい。それで駄目だったら不妊治療をする。
それが嫁さんの考え方だった。
僕はというと、以前、職場の同僚が不妊治療をしていて、奥さんが大変な思いをしていることを聞いたことがあったので
嫁さんにそんな思いをさせたくないという思いが強かった。
不妊治療をするならば、夫婦で楽しい時間を過ごすことを優先させた方が良いと正直思っていた。
嫁さんにそんな思いをさせたくないという思いが強かった。
不妊治療をするならば、夫婦で楽しい時間を過ごすことを優先させた方が良いと正直思っていた。
そういう中で新しく授かった命だった。
この命は大事にしていこうと、嫁さんと話し合いながらの日々。
そして3月末に里帰り出産のために帰省して、ようやくここまで辿り着いた感じでした。
そして3月末に里帰り出産のために帰省して、ようやくここまで辿り着いた感じでした。
5/21の検診の時に「3000グラムを超えた」と連絡を受けて
「もしかしたら5月に産まれるんじゃないか?」と思い
職場の同僚に、自分が抱えている仕事の内容を伝えておいたり
荷物をまとめていたり、いつでも行くことが出来る準備をし始めた。
「もしかしたら5月に産まれるんじゃないか?」と思い
職場の同僚に、自分が抱えている仕事の内容を伝えておいたり
荷物をまとめていたり、いつでも行くことが出来る準備をし始めた。
しかし実際には「産まれそう」という連絡は、なかなか入ってこない…。
その間は子供への想いが募るばかりで、早く会いたくても会えない。
それはまるで高校生の頃に好きだった女の子への募る想いに似ているようだった^^;
その間は子供への想いが募るばかりで、早く会いたくても会えない。
それはまるで高校生の頃に好きだった女の子への募る想いに似ているようだった^^;
そんな風に過ごしてきて、少し疲れを感じ始めていた6/6の夜に嫁さんからメールが・・・
「何だかもうすぐハヤトに会える気がする」
後々で聞くと、何か予兆があったわけでもないんだけれども
「いつもと違う何か」というものは感じたそうだ。
「何だかもうすぐハヤトに会える気がする」
後々で聞くと、何か予兆があったわけでもないんだけれども
「いつもと違う何か」というものは感じたそうだ。
夜中の2時過ぎに「どうも破水をしたみたい」という電話が掛かってきた。
そのまま眠れずにいると今度は、4時過ぎにメールが「そのまま入院しました」とのこと。
そのまま眠れずにいると今度は、4時過ぎにメールが「そのまま入院しました」とのこと。
「今日行こうか?」とメールを打つと「仕事は大丈夫?」との返事。
まぁ既に2週間前から、毎週月曜の朝礼の度に「もしかしたらもうすぐ子供が・・・」と話していたし
幸いにして、少し仕事が落ち着いているタイミングでもあったので、すぐに行くことは出来る。
「まだ陣痛が始まっていないから、慌てなくても大丈夫」という嫁さんのメールに
慌てて行くこともあるまいと思い、翌朝の8時過ぎの電車に乗り込んで、羽田空港へと向った。
まぁ既に2週間前から、毎週月曜の朝礼の度に「もしかしたらもうすぐ子供が・・・」と話していたし
幸いにして、少し仕事が落ち着いているタイミングでもあったので、すぐに行くことは出来る。
「まだ陣痛が始まっていないから、慌てなくても大丈夫」という嫁さんのメールに
慌てて行くこともあるまいと思い、翌朝の8時過ぎの電車に乗り込んで、羽田空港へと向った。
空港への移動中、某所にて自分の感情やら状況やらを呟いたら
友人達が次から次へと温かいメッセージを送ってくれる。
「ハヤト、皆がお前の誕生を楽しみにしてくれているぞ」
そんなことを心の中で呟いた。
友人達が次から次へと温かいメッセージを送ってくれる。
「ハヤト、皆がお前の誕生を楽しみにしてくれているぞ」
そんなことを心の中で呟いた。
鹿児島空港へ着いたのは14時頃。
関東の蒸暑い感じはなく、少し肌寒いくらい。
そしてバスとタクシーを乗り継いで、嫁さんが入院する病院へ着いたのは16時頃だった。
病院に着くと、ロビーで義母が待っていてくれて一緒に病室へと向った。
病室に入ると、出産間近の人とは思えないくらい余裕をブッコイテいる嫁さんがいて少し拍子抜けをしてしまった。
関東の蒸暑い感じはなく、少し肌寒いくらい。
そしてバスとタクシーを乗り継いで、嫁さんが入院する病院へ着いたのは16時頃だった。
病院に着くと、ロビーで義母が待っていてくれて一緒に病室へと向った。
病室に入ると、出産間近の人とは思えないくらい余裕をブッコイテいる嫁さんがいて少し拍子抜けをしてしまった。
到着してから30分くらいだろうか?嫁さんが診察に呼ばれて行った。
診察から戻ってくると「風船を入れられた」とのこと
少し破水をしたものの、子宮口がまだ子供が通れるほど開いていないという。
その子宮口を開くがために、風船を入れたんだとか。
「女の人の身体って凄いね」なんて話せるほど、まだまだ余裕という感じだった。
診察から戻ってくると「風船を入れられた」とのこと
少し破水をしたものの、子宮口がまだ子供が通れるほど開いていないという。
その子宮口を開くがために、風船を入れたんだとか。
「女の人の身体って凄いね」なんて話せるほど、まだまだ余裕という感じだった。
6時過ぎに、義母と外へ食事に出掛けて、7時過ぎに病室に戻り
テレビでサッカーのキリンカップの中継をやっていたので、それを見て過ごしていると
助産師さんがやってきて
「今日は生まれないからご主人とお母さんは帰って、身体を休まれた方が良いですよ」
と言う。それじゃぁ一人は居た方が良いだろうということで僕が残り、義母は一旦帰宅した。
テレビでサッカーのキリンカップの中継をやっていたので、それを見て過ごしていると
助産師さんがやってきて
「今日は生まれないからご主人とお母さんは帰って、身体を休まれた方が良いですよ」
と言う。それじゃぁ一人は居た方が良いだろうということで僕が残り、義母は一旦帰宅した。
時間潰しに本を読み始めたのだが、夜中の2時過ぎに起きて以降
まともに寝ていなかったこともあり、いつの間にウトウトしてしまい。
何度か目が覚めたものの、そのまま寝入ってしまった。
まともに寝ていなかったこともあり、いつの間にウトウトしてしまい。
何度か目が覚めたものの、そのまま寝入ってしまった。
朝の3時過ぎに、嫁さんがナースコールをしている声に目が覚めた。
「風船が取れちゃったんですけど・・・」
助産師さんがやってきて診察をしたところ、子宮口が少し開いているとのこと。
「陣痛室が空いていたら、そちらに移動しましょう」
この日は出産のラッシュだったらしく、夜中の1時過ぎに一人出産されて
そして朝方にも別の方が出産されていた。
朝の4時前であったけれども、義母にも「病室に居なかったら、陣痛室にいます」と電話をしておいた。
「風船が取れちゃったんですけど・・・」
助産師さんがやってきて診察をしたところ、子宮口が少し開いているとのこと。
「陣痛室が空いていたら、そちらに移動しましょう」
この日は出産のラッシュだったらしく、夜中の1時過ぎに一人出産されて
そして朝方にも別の方が出産されていた。
朝の4時前であったけれども、義母にも「病室に居なかったら、陣痛室にいます」と電話をしておいた。
陣痛室に入ってから30分くらい経っただろうか
車椅子で一人陣痛室を通り過ぎて分娩室に運ばれて行った。
分娩室に運ばれて30分もしないくらいで「おめでとうございます!」という声と
赤ん坊の産声が聞こえてきて「ずいぶん早いな」と思ったのと
「うちもこんな感じなのかなぁ」なんて、少しジーンと来るものがあった。
車椅子で一人陣痛室を通り過ぎて分娩室に運ばれて行った。
分娩室に運ばれて30分もしないくらいで「おめでとうございます!」という声と
赤ん坊の産声が聞こえてきて「ずいぶん早いな」と思ったのと
「うちもこんな感じなのかなぁ」なんて、少しジーンと来るものがあった。