その日の予定が決まり、その日を迎えるまでの間
ボーッと考えることがあった。
ボーッと考えることがあった。
例えば嫁さんと息子が帰省から戻ってくる時は別として
両親と都内へ遊びに行くのって、いつ以来だろうか?
昔の写真なんかを見ていると、僕がまだ小学校の低学年か、まだ幼稚園くらいか
上野動物園だったり、銀座の歩行者天国と思われるところを歩いているものだったり
なんとなく、そんな感じのことは覚えているけど
最後に両親と都内へ一緒に行ったのは、たぶん小学校の低学年くらいかなぁ・・・
両親と都内へ遊びに行くのって、いつ以来だろうか?
昔の写真なんかを見ていると、僕がまだ小学校の低学年か、まだ幼稚園くらいか
上野動物園だったり、銀座の歩行者天国と思われるところを歩いているものだったり
なんとなく、そんな感じのことは覚えているけど
最後に両親と都内へ一緒に行ったのは、たぶん小学校の低学年くらいかなぁ・・・
去年の年末に嫁さんから「お義父さんの誕生日どうしようか?」と言われた。
「う~ん、そうね」と何となく応えつつ
まぁいつもの感じだと近場で食事して、それでおしまいって感じかなぁ
って思っていたのだが「古希のお祝いだから、何かしようよ」と言う嫁さんに
後押ししてもらうような感じになった。
「う~ん、そうね」と何となく応えつつ
まぁいつもの感じだと近場で食事して、それでおしまいって感じかなぁ
って思っていたのだが「古希のお祝いだから、何かしようよ」と言う嫁さんに
後押ししてもらうような感じになった。
兄貴にも「ちょっとこんなこと考えているんだけど」と伝えて
その日に時間を作ってもらって。
その日に時間を作ってもらって。
今までって、自分が連れて行ってもらう立場だったのが
自分が連れて行って、案内する感じ。
ちょっと感慨深いものがあった。
自分が連れて行って、案内する感じ。
ちょっと感慨深いものがあった。
高校生の頃は、親父との距離間を感じることが多かった。
田舎の祖父に電話をするときなんか、いつも「トオルはやっせん(ダメだ)」と
何だか告げ口をされるかのような気分で、嫌で嫌で仕方なかった。
かといって、一発逆転をブチかますやり方もわからないし・・・。
親としてみれば、奮起させたかったんだろうとは思うけれども・・・
田舎の祖父に電話をするときなんか、いつも「トオルはやっせん(ダメだ)」と
何だか告げ口をされるかのような気分で、嫌で嫌で仕方なかった。
かといって、一発逆転をブチかますやり方もわからないし・・・。
親としてみれば、奮起させたかったんだろうとは思うけれども・・・
自分の中で親父に対する見方が変わったのは、大学に入ってからだ。
親元を離れたということと、親元を離れて行ったところが両親の故郷だったということ。
自分のルーツについて色々と考える良い機会だった。
祖母から親父が高校生の頃の話なんかを聞く機会もあって
結構苦労していたんだ、ということを初めて知った。
親に対する見方が少し変わってから、何となく大学を卒業後は親の近くで働こう
そう思うようになり、今に至っている。
親元を離れたということと、親元を離れて行ったところが両親の故郷だったということ。
自分のルーツについて色々と考える良い機会だった。
祖母から親父が高校生の頃の話なんかを聞く機会もあって
結構苦労していたんだ、ということを初めて知った。
親に対する見方が少し変わってから、何となく大学を卒業後は親の近くで働こう
そう思うようになり、今に至っている。
2/5に古希を迎える父に、ささやかながらお祝いをしよう
そんなわけで、2/1の土曜日に両親と兄貴と僕の家族とで
都内へと出掛けてきました。
そんなわけで、2/1の土曜日に両親と兄貴と僕の家族とで
都内へと出掛けてきました。
嫁さんと息子とお袋が席を外している時に、親父が「ありがとうな」と
兄貴と僕に一言。
兄貴と僕に一言。
ちょっとは親孝行出来たかな。
そう願いたいところです。
そう願いたいところです。